金沢大会熱闘の軌跡

第1回大会(大正4年)から第101回大会(平成29年)まで

大正4年(1915年) 学生角力大会として、金石海浜・日和山下の特設相撲場を会場に第1回を開催。
昭和4年(1929年)
第15回(昭和4年)金石海浜で行われ、大観衆が土俵上の熱戦に一喜一憂した
金石海浜で行われ、大観衆が土俵上の熱戦に一喜一憂した
昭和19年(1944年) 太平洋戦争のため中止。
昭和20年(1945年) 太平洋戦争のため中止。
昭和27年(1952年) 平和台特設相撲場(金沢市平和町)に会場を移す。
昭和29年(1954年) 兼六園球場(金沢市出羽町、現本多の森ホール)に会場を移す。
昭和31年(1956年) 第40回記念大会で初めての海外遠征を企画。全国から105校が参加しハワイ親善相撲派遣の選手選抜を兼ねて開催。
昭和36年(1961年) 現在の卯辰山相撲場の建設に伴い、同相撲場に会場を移し、現在に至る。
昭和38年(1963年) 日本西洋史学会第14回大会に出席するため来県された三笠宮さまが観戦。
昭和39年(1964年)
第48回(昭和39年)金沢高の輪島(元横綱輪島)は個人戦決勝、際どい一番で敗れた
金沢高の輪島(元横綱輪島)は個人戦決勝、際どい一番で敗れた
昭和41年(1966年) 第50回大会を記念して、常陸宮ご夫妻が観戦され、団体優勝校に新たに常陸宮杯が贈られる。
昭和44年(1969年)
第53回(昭和44年)七尾商の舛田(元関脇舛田山、常盤山親方)が個人戦2連覇を果たす
七尾商の舛田(元関脇舛田山、常盤山親方)が個人戦2連覇を果たす
昭和46年(1971年) 卯辰山相撲場に応援席が増設される。
昭和51年(1976年) 第60回大会を記念して、2回目のハワイ親善相撲派遣選手を選抜。一週間の日程でハワイ三島を訪問し、日米親善の役割を果たす。
この年、大会歌を公募し、『黒鷲旗賛歌』を制定する。
昭和53年(1978年) 北國新聞創刊85年とブラジル入植70周年を記念して、ブラジル派遣選手の選抜を兼ねて開催。選抜選手は8月にマウワ市で開催された全ブラジル相撲選手権大会に出場し、日伯親善に貢献。
昭和58年(1983年) 北國新聞創刊90年記念大会となった同大会は、ブラジルから高校選抜チームを招待し、特別参加としたほか、大会で選抜された5人の選手を派遣。
昭和59年(1984年) 第68回大会から個人優勝者に文部大臣杯が贈られる。
昭和61年(1986年) 第70回大会を記念して、浩宮殿下のご臨席を賜る。またブラジル相撲連盟創立25周年記念の全ブラジル相撲選手権大会派遣の選手選考を兼ねて開催。7月に3度目のブラジル派遣を実施。
平成元年(1989年)
第73回(平成元年)水戸農の尾曽(元大関武双山、藤島親方)は個人優勝を父と喜んだ
水戸農の尾曽(元大関武双山、藤島親方)は個人優勝を父と喜んだ
平成3年(1991年)
第75回(平成3年)個人決勝は金市工の出島(元大関出島、大鳴戸親方)が七尾商の後藤(元関脇栃乃洋、竹縄親方)を破る
個人決勝は金市工の出島(元大関出島、大鳴戸親方)が七尾商の後藤(元関脇栃乃洋、竹縄親方)を破る
平成4年(1992年) チェコスロバキア杯(現チェコ共和国友好杯)が団体優勝校へ贈られる。
平成5年(1993年) 北國新聞創刊100年記念として、ブラジル派遣選手選考会を兼ねて開催。選抜選手は、7月にマリリア市で開催された全ブラジル相撲選手権大会と国際親善相撲大会の二大会に出場。
平成6年(1994年) 中華人民共和国友好杯が団体優勝校に贈られる。
平成7年(1995年) 前夜祭行事として、全国少年相撲振興シンポジウムを開催。日本相撲協会相撲博物館・花田勝治館長が基調講演。少年相撲体験感想文を公募。
平成8年(1996年) 第80回大会を記念して、全参加校の校旗を会場内に掲げ、5度目のブラジル派遣選手選考会を兼ねて開催。選抜された10選手は、7月にアチバイア市の全ブラジル相撲選手権大会、南米相撲選手権大会と併催の国際親善相撲大会に出場。公募した友好交流使節団60人余も同行して、日伯親善の灯を継いだ。
平成13年(2001年)
第85回(平成13年)明徳義塾が団体優勝を決めた瞬間、歓喜の声を上げる菊次(大関琴奨菊)
明徳義塾が団体優勝を決めた瞬間、歓喜の声を上げる菊次(現・琴奨菊)
平成13年(2001年) 第85回大会を記念して、会場内に金沢大会の軌跡をたどった写真パネル展示をし、6度目のブラジル派遣選手選考会を兼ねて開催。選抜された10選手は7月にサンパウロ市で開催された全ブラジル相撲選手権大会、南米相撲選手権大会と併催の国際親善相撲大会に出場。
平成15年(2003年)
第87回(平成15年)埼玉栄の澤井(大関豪栄道)が豪快な上手投げで個人優勝を決める
埼玉栄の澤井(大関豪栄道)が豪快な上手投げで個人優勝を決める
平成15年(2003年) 北國新聞創刊110年記念事業として実施。選手交歓会で大会の軌跡をたどるスライド上映を行う。
平成16年(2004年)
第88回(平成16年)明徳義塾の影山(小結栃煌山)が豪快な押し倒しで個人の頂点に
明徳義塾の影山(現・栃煌山)が豪快な押し倒しで個人の頂点に
平成18年(2006年) 第90回大会を記念し、7度目のブラジル派遣選手選考会を兼ねて開催。選抜された10選手は、7月にアラサツーバ市の全ブラジル相撲選手権大会、南米相撲選手権大会と併催の国際親善相撲大会に出場。
平成20年(2008年)
第92回(平成20年)金沢学院東の遠藤(西前頭9枚目遠藤)が団体、個人とも無敗で2冠に輝く
金沢学院東の遠藤(現・遠藤)が団体、個人とも無敗で2冠に輝く
平成23年(2011年) 第95回を記念し、8度目のブラジル派遣選手選考会を兼ねて開催。選抜された10選手は7月にサンパウロ市で開かれた第50回ブラジル相撲選手権と併催の国際親善相撲大会に出場。
平成26年(2014年) 1915(大正4)年の第1回大会から98回目を数え、太平洋戦争で中止となった昭和19年、20年を含め、100年の節目を迎える。
平成28年(2016年) 第100回大会を記念して、秋篠宮殿下のご臨席を賜る。